蓮如上人物語 〜燎原の火の如く〜
蓮如上人のご生涯
(5)大殿堂建立への気運
北陸を去られた蓮如上人は、船で若狭へ上陸されました。以後、真っすぐに畿内へは入られず、険しい山越えを敢行されたのです。現在の福井県小浜市から京都府、大阪府、兵庫県北部を、精力的に歩かれ、弥陀の本願真実を伝えられたのです。
山間部の布教を経て、新たな拠点とされたのは、京の都ではなく、河内国出口(大阪府枚方市出口)でした。淀川べりに御坊を建立されたのです。
出口御坊は、参詣者であふれ、またたく間に限界を超えてしまいました。真宗門徒が一堂に会して聞法できる大殿堂建立をと、希求する声が急速に高まっていきました。
文明十年(一四七八)一月八日。この日の聴衆の中に、金森の道西の姿がありました。ご法話の後、道西は、蓮如上人のお部屋に伺ったのです。
「上人さま、遠国から参詣の同行も、本堂に入り切れず残念がっております」
「さよう、この草坊も、もう限界じゃ。参詣の面々が、一堂に聞法できる御堂を建立せねばならぬのう」
「それはもとより、一同の願いであります」
「しかし、ふさわしい土地があろうか」
この時、比叡山の僧兵の暴挙が、上人の脳裏をよぎったに違いありません。
道西、ここぞとばかり、
「ございますとも、あの襲撃から、ちょうど十三年。その間、この道西、本願寺再建の地を探し求めてまいりました」
道西が、上人にお勧めした大殿堂建立の地……、それは、山城国宇治郡山科でした(現在の京都市山科区)。
語気を強めて、さらに言いました。
「山科は、京の都に接しております。その上、東海、北陸から京へ入るいくつもの街道が集まる要衝であります」
交通の便がとてもよく、全国から参詣者が集うには、絶好の地であったのです。
「ぜひ、近日中に、ご検分くださいませ」
「いや、近日といわず、明日行こう。道西、案内してくれるか」
蓮如上人の熱い御心に、道西の感激はひとしおでした。
翌日早朝、蓮如上人は、道西、ただ一人を供に、山科へたたれたのです。
燎原の火の如く 〜蓮如上人物語〜