蓮如上人物語 〜燎原の火の如く〜

蓮如上人物語

蓮如上人のご生涯


(2)命がけのご布教 寛正の法難

 寛正六年(一四六五)一月十日。ついに、延暦寺の僧兵数百は、京都・東山の本願寺を襲撃しました。暴徒は、さんざん破壊をほしいままにし、愛山護法の門徒が駆けつけた時には、すでに退散した後でした。蓮如上人は、親鸞聖人の御真影とともに、かろうじて避難されましたが、僧兵どもは、執拗に上人のお命を狙い続けたのです。

 世にいう「寛正の法難」です。蓮如上人が法主になられて八年目の出来事でした。

 以後、四年間、蓮如上人は、琵琶湖周辺の道場(末寺)を転々とされます。それは、比叡山の目を逃れながらのご布教であり、幾度も身に危険の迫る決死行であったのです。

 金森や琵琶湖西岸の堅田など、上人の赴かれる所へ僧兵の襲撃が相次ぎました。

 門徒への、直接の迫害も多く、悪僧たちは、真宗門徒と見ると金銭をゆすり、御本尊を焼くなどの暴行を加えました。比叡山の麓に近い北雄琴の掃部では、門徒に縄をかけ、比叡山へ引き立てること、十七回に上ったうえ、家財まで、没収したといわれます。

 信教の自由が保障された今日からは、とても想像できない、無法な時代であったのです。蓮如上人も命がけならば、聞法する村人も、命がけでした。

 見るに見かねた室町幕府は、僧兵の取り締まりを命じましたが、何の効果もありませんでした。すでに、幕府に力無く、応仁の乱は、全国に戦火を呼んでいました。まさに、乱世であったのです。

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